No.51

随筆
  福島中学校閉校に思う

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2017年3月15日
松岡忠巳(旧姓児玉)
埼玉県熊谷市(串間市東今町出身)
 串間市立福島中学校が、2017年3月31日で閉校となり、学校名が串間市立串間中学校に変わります。私たちが通った福島中学校時代は 串間市内に6つの中学校が有りました。福島中学校、北方中学校、大束中学校、本城中学校、市木中学校、都井中学校の6つの中学校が全て閉鎖され、生徒さん達は福島中学校跡地を利用した串間中学校にスクールバスで通うことになるそうです。
これは串間市の人口減少と少子高齢化が児童生徒数の減少となって 市の財政圧迫を招き市内の中学校を1つに纏める決断となったのだと思われますが、一抹の寂しさを覚える故郷からのニュースでありました。

 私達の故郷串間市は宮崎県の最南端にあり、宮崎市から約70`離れており、東は日向灘、南は志布志湾、海岸は日南海岸国定公園に繋がり 黒潮の影響で冬でも比較的温暖な地方です。
私は串間市東今町の出身で、有明小学校を出て、福島中学校に通いました。今町という土地柄、海と川に近く、家の中でも波の音を聞いて育ちました。海か浜が遊び場所で、泳ぎはカッパと同じか、カッパ以上の磯潜りが得意でした。古い話ですが第2次世界大戦の記憶は鮮明に残っております。真珠湾攻撃で始まる太平洋戦争開戦の時が2歳で、その後 空襲が激しくなりアメリカのグラマン戦闘機の機銃掃射が始まりました。
今町の家の庭に防空壕があり、アメリカの戦闘機の操縦士の顔が見えるくらい低空から機銃掃射です。防空壕のフタを開けて飛び込んで難を逃れること日常でした。終戦の時は5歳と11ヶ月でしたから 今でも戦争の思い出が記憶に残っています。これからも戦争のない平和な世の中であって欲しいですね。

 私達が3年間通った福島中学校の思い出を風化させることなく、ホームページを残そうと 13年前に苦心惨憺して作り上げたのが 昭和29年度串間市立福島中学校の同窓会ホームページです。取材のために何度か串間に帰り 福島中学校の先生方にお願いして、中学校の写真などを撮らせていただき、同窓会ホームページを立ち上げることができました。今でもいろいろな行事がある度にその記事や写真が追加で載せられて継続しております。
このホームページは全国にいる「昭和29年度福島中学校卒業生」同窓全員の心の絆であり 心の拠り所となっています。
                         (忠巳)

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